【摘要】首裏王府每年從正月到十二月,每個月都會舉辦各式各樣的慶典祭祀活動。祭祀活動非常豐富,有祈求琉球國王家族繁榮昌盛的、有農耕儀式的、有祈求進貢貿易及鹿兒島、先島航海安全的、有祭祀祖先、除灾祈福的等等。祭祀活動的形式多樣化,由大部分的士族們參加,在首裏城正殿前舉行活動,或是組成大規模的遊行隊伍去寺廟參拜;或是由王府選擇良辰吉日,在各地區進行祭祀活動;或是與“御内原”(後宫)共同舉辦,國王與上級士族們一同飲酒飲茶等等。
正殿前的儀式與組織大規模的士族們前往寺廟參拜的這種大規模的儀式,都是以祈求琉球國王家族繁榮昌盛爲目的的。士族們在正殿前對國王行三叩九拜禮,或者是組成隊伍去寺廟參拜,通過這樣的形式,向參加的士族、圍觀的百姓們展示了琉球王府的國威。在士族們行過朝拜御規式等大規模的儀禮之後,王府賜酒慰勞士族們,這在歷史記録中被稱爲“大通”。到了正月元旦,在南殿或是正殿下庫裏,琉球國王與士族們一同飲酒。這種共飲儀式,不僅是元旦,正月七日、十五日、三月三日、五月五日、稻穗祭、稻大祭、八朔、重陽、上表渡、冬至、歲暮時節,都會在首裏城舉辦多次。
這樣的共飲儀式,不僅加深了士族與國王之間的關係,更是通過展示王府經濟力、權威的裝飾道具,向參加的士族們顯示琉球王府的權威,具有增强士族們的忠誠意識的效力。
本論文通過對在首裏城舉行的慶典祭祀活動進行分類,根據時期的不同,探究各個儀式活動的目的,並考察國王與士族們一同飲酒這一儀式的意義。同時對在共飲儀禮中使用到的道具,史料與繪畫中記載有的“南風之御殿御規式”與“美御前揃三ツ御飾規式·二御飾規式”進行考察。
【要旨】首裏王府が実施する年中行事は、正月から十二月まで毎月、様々な取り組みがあった。内容としては、琉球國王家の繁栄祈願や、農耕儀禮、進貢貿易や鹿児島·先島航路の航海安全儀禮、祖先祭祀、厄除祈願等、多岐にわたっていた。これらの儀禮は、多數の士族が參加し、首裏城正殿前で挙行されたり、社寺等へ大規模な行列を組んで參拝を実施するものもあれば、王府が吉日を選んで、各間切で祭祀を挙行させるもの、正殿後方の御内原と呼ばれる女性を中心とした空間と連動して行われるもの、國王と上級士族達が酒·茶を共飲するもの等、内容も様々である。
正殿前の儀禮や社寺へ參詣等の多人數の士族を動員する大規模な儀禮は、琉球國王家の繁栄祈願が目的で行われるものであるが、多人數の士族が御庭で國王に三跪九叩頭をしたり、行列を組んで社寺に出かけるもので、參加した士族、行列を見守る琉球の庶民へ王府の威光を誇示する効果があったものと思われる。王府は、朝拝御規式などの大規模儀禮を行った後、御庭で參加した士族達を労うため酒を下賜し、そのことは記録では大通と記述されている。さらに、正月元旦には、南殿や正殿下庫理において、國王出御のもと、上級士族達と酒を共飲する儀禮を行っていた。この共飲儀禮は、元旦だけでなく、正月七日、十五日、三月三日、五月五日、稲之穂祭、稲大祭、八朔、重陽、上表渡、冬至、歳暮に首裏城内で年間を通して何度も行われている。
このような共飲儀禮は、単に國王と參加する士族達の結びつきを深めるだけでなく、王府の経済力·権威で製作された飾道具を披露して使用することにより、參加する士族達へ王府の権威を見せつけ、忠誠の意識を新たにする効果もあったと思われる。
拙論では、首裏城で行われる年中行事全體の分類を行い、時期によって、どのような目的の儀禮が行われたのか傾向をみながら、國王と士族達が酒等を共飲する儀禮の意義について考察をしたい。さらに共飲儀禮で使われた道具について、史料や絵図が殘っている南風之御殿御規式及び美御前揃三ツ御飾規式·二御飾規式から考察を行ってみたい。
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